鎌倉幕府官僚、青砥藤綱は歴史上最初のマクロ経済学者?~ケインズより700年も前にマクロ経済学を理解していた?~

日本史のエピソード記事

 

記事をご覧いただきありがとうございます。

 

私は歴史好き、日本史好きですが、学生時代、経済学部だったこともあり、歴史上のことを現代の経済学の観点から見ても、面白いのではないかと思い、今回の記事を書きました。

 

鎌倉時代の経済官僚の話です・・・

 

 

貨幣経済の浸透と青砥藤綱の活躍

 

鎌倉幕府は当初、武家政権として始まり、最初は関東武士の土地の保証や争いの仲裁機関としての役割を期待され始まっており、その証拠に京都からそうした法律に明るい三善康信や大江広元などが呼ばれ、法律を整備するために大事な役職につきました。

 

そもそも幕府を立ち上げた頼朝は、関東の武士から土地の保証という面での期待をもって、担がれたのであり、それが頼朝挙兵で、源氏中心の挙兵の実態であったのです。

 

当時は平氏が貴族化していて、全国の土地利権をほぼ独占していたので、これを打倒しようとしたということになります。

 

そして時代は移ると、鎌倉幕府も執権である北条氏が中心になりました。

 

その頃、世の中では、物の取引に貨幣が使用されるようになり、流通経済が浸透してくるにともなって、こうした分野に明るい人材が必要となって生まれてきたのです。

 

その代表が執権北条時頼の時代に活躍した幕府の引付衆だった青砥 藤綱です。

 

藤綱は名吏として知られ、財政家としても知られました。

 

太平記に次のような話が載っています。

 

ーある日、青砥藤綱は、夜中、用があり出かけた際に滑川という小川に差し掛かかり、橋の上で火打ち袋を緩めたところ、その中にあった銭十文を川に落としてしまいました。

 

すると藤綱は慌てて家来の者に、松明を近くの町屋で五十文で購入させ、その明かりで川の中を探させたのですー

 

この話をあなたはどう思われるでしょうか。

 

当時のこれを聞いた人は笑って、「つまりは青砥さん、四十文の損じゃありませんか」と言いました。

 

すると藤綱は、「あなたたちは経済のことをわかっていない」といったそうです。

 

「四十文の損は個人の経済である。

 

一方で、貨幣を川の底に落として拾わないのは、永遠に世の中に貨幣が出回ることがなくなり、社会全体の損失である。

 

しかし、松明を買い、探せば松明を買ったお金は市内に出回り世を潤すこととなる」

 

こう答えたそうです。

 

つまりこれはさらに言うと、拾ったお金についても、もう一度市内の経済の中で動いていくことが重要であるということを言っていると思います。

 

 

藤綱の考え方はマクロ経済学者的?

 

時頼が執権に就いたのが、1246年ですが、源頼朝の鎌倉幕府開府が1192年頃といわれますから、そのわずか約50年後に世の中は大きく変わり、武勇の者よりも藤綱のような貨幣経済のことが分かるような官僚が表舞台に立つようになったのです。

 

 

この貨幣の流通を重んじる考え方は、マクロ経済学の発案者ケインズの考え方に共通するものがあると私は思います。

 

アメリカ発の世界恐慌からの経済復活のための理論を模索したケインズが活躍した世界恐慌時は1929年の頃です。

 

対して青砥藤綱は鎌倉時代の役人。

 

つまりは1200年代頃の人物と推定されます。

 

その差は約700年。

 

日本の鎌倉時代という早い時期に、現代にも通じるマクロ経済学を発明したケインズの理論と同じ考え方が生まれていたことに、日本の中世鎌倉時代の貨幣経済の発展ぶりとそれをとりまく頭脳・経済的観念が発達していたことに驚きを感じませんか。

 

 

ちなみにケインズは、

 

「政府が借金をして得たお金を壺に入れ、地面深くに埋めて、その上にゴミを積み重ねて、それを業者に堀り起こさせれば、一見無駄な作業に見えるが、経済的には雇用を生みだし、経済を活性化させる」

 

というたとえ話を著書で語っています。

 

これは藤綱の考え方に通じるところがあるのではないでしょうか?

 

ミクロ的には損をしてでも、貨幣の流通を促すことはマクロ的には世の中の経済を動かすことになり、そのことが重要なのだという考え方だと思います。

 

マクロ経済学では、不況を改善することをその目的にしていますが、不況をこのように定義しています。

 

・世の中には労働者階級・企業家階級・金利生活者階級の3種類の人種がいる。

 

・お金の状態は、市場(貨幣経済の世の中)に出回っていないストックと出回っているフローとがある。

 

・労働者階級と企業家階級はフローの世界の住人であり、金利生活者階級はストック世界の住人で、両者は利害の上で対立している。

 

・金利生活者の資金需要が高まると、フロー、つまり市場の貨幣の量が少なくなり、貨幣の価値が高まるから、貨幣を借りるのが困難になり、争って皆貨幣を借りたがるので利率が高くなってしまう。

 

・利率が高まると、銀行から企業が資金を借りにくくなってしまい、企業の活動が不活発になる。このことが不況を引き起こす。

 

ここでケインズが言っていることの本質は、世の中に出回る貨幣の量が減ると、景気が悪化するということです。

 

まさに藤綱が言っていたことと同じではないでしょうか。

 

現代経済においても、マネーサプライ(市場での貨幣供給の量)を増やしたり、減らしたりすることで、政府は景気を回復させたり、加熱した景気を押えたりしようとすることがあります。

 

これがケインズ発案のマクロ経済学です。

 

マクロ経済学の中の金融政策というものであり、政府が日本銀行から国債を買えば、その買った分の代金が日本銀行へ流れ、やがて日本銀行から民間銀行へ流れ、民間銀行から世の中の企業に貨幣が流れます。

 

これによって、景気が活性化するというわけです。

 

また、逆に、政府が日本銀行へ政府自身が持っている国債を売れば、日本銀行からその代金として政府にお金が回収され、世の中に貸付できるお金が減り、結果として世の中に出回るお金の量が減ります。

 

これによって景気が抑制されます。

 

バブルなどで景気が実態以上に加熱した場合にとられる政策でしょう。

 

このように、青砥藤綱は直観的にすぎなかったのかもしれませんが、現代経済政策にも通じる洞察を鎌倉時代の当時から得ていたのかもしれません。

 

貨幣経済の取引が行われる鎌倉周辺の市場で、藤綱は貨幣とそれが動くことによる経済の活発化のメカニズムを、いわば「箱庭」として観察し、思考していたのかもしれません。

 

 

 

(青砥藤綱の故事の部分を参考:街道をゆく(三浦半島記)、司馬遼太郎著)

 

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